http://waga.nikkei.co.jp/money/pension.aspx?i=MMWAb3000009042009 年金と生活保護の狭間で生き抜く 【日経WAGAWAGA 2009/04/11】
年金を受け取り始めた世代はその額を知って立ちすくんでいる。「とても暮らしていけない」という落胆の声が上がる中、『あなたの年金がすべてわかる』(自由国民社刊)を監修した社会保険労務士の西村利孝さんは「国の想定している年金ライフは『死なない程度』の豊かさにすぎない」と語る。さらに「年金も退職金も減り続ける」と見る西村さんに、年金の今と今後を聞いた。
「少なくとも退職時点の年収の半分ぐらいはもらえるはず」。年収水準に関してこんな誤解を持つ人は少なくありません。そして、大半の人が給付の実額を知って愕然とします。期待したよりもはるかに少ないからです。現在の給付水準は「死なない程度」という表現が近いと思います。「生かさず、殺さず」程度の生存権を、金銭的に裏付けているにすぎないのです。
過去10年間ぐらいのうちに3分の1程度の年金支給額の目減りが起きています。年金財政をどうにかやりくりするためにできる手段は3つしかありません。「年金加入者からたくさん取る」「年金支給時期を遅らせる」、そして「年金支給額を減らす」がその3つ。優秀な官僚はこの3つを上手に組み合わせて、年金制度の延命を図ってきました。その苦肉の策はこれからも続くでしょう。
支給額を増やさないという方向性はもう白書レベルではっきり示されています。「自助努力を求められる時代に入った」といった表現は、「年金をあまり頼りにしすぎないでください」とも読めます。
年金額はそもそもどういう意図で定められいるのでしょうか。それは「最低限の生活保障」と言えます。有り体に言えば、「死なない程度の豊かさ」。遊んで暮らせる額では決してないのです。
具体的には「1人当たり1カ月5万円あれば、生きていけるだろう」という計算から成り立っています。このうち食費が3万円程度を占めます。国の計算では、受給者は住宅ローンは払い終わっていて、教育費の心配もないという状態が想定されているようです。言い方を変えれば、住宅ローンが残っている人は危険という事にもなります。
計算の根拠となる積み上げには、もろもろの生活費は一応カウントされていますが、抜け落ちている出費も少なくありません。税金や住宅修繕費などは見落とされていると見えます。もちろん、旅行やレジャー、趣味などに費やす金もろくに計算されていません。国の見積もりでは、老後はそういう事に金を掛けない実につましい生活がイメージされているのです。
このような年金の現状と、最近の景気後退を重ねて見ていると、新しい江戸時代が訪れたようでもあります。「長屋の花見」ではありませんが、見栄を張らないライフスタイルが見直される状況になっています。年金や福祉の財源をまかなう目的で消費税率が上がって、実質的な税負担率が4割、5割と上がっていけば、まるで江戸時代の「四公六民」「五公五民」のようです。
「退職金」という仕組みは、いずれは消えていく運命にあるでしょう。とりわけ、退職一時金という制度は今や一部の国にしか存在しないレアな仕組みとなりつつあります。人材の流動性がさらに高まれば、企業がわざわざ退職金を用意して人材を囲い込む意義は薄れます。そうなれば、退職金額はどんどん減っていって、401kのような仕組みに切り替わっていくと見えます。
既に退職金制度のある状態で入社した人にとっては、突然消えては困る既得権でしょう。だから、どこかの段階で廃止を宣言して、以後の新入社員には退職金抜きの新しい制度を適用するという形で廃止が相次ぐことになりそうです。
もともと高度経済成長期に戦争経済の手法を持ち込む格好で導入された経緯があり、終身雇用が当たり前だった時代の残滓と言えなくもありません。新入社員の3分1が3年以内に辞めてしまうような今、一生同じ会社に縛り付けておくのを助けるような退職金制度は実情に合わなくなっています。労働や貢献に見合ったペイ(報酬)で報いるのが労使双方にとって現実的な選択肢となってきました。
年金制度自体も見直しが重ねられてきました。共働き世帯が増えたり、夫婦関係が変化してきたことが背景にあります。例えば、離婚が夫婦2組に1組ペースになってきた今、遺族年金のありようは見直しが必要かも知れません。国民年金の保険料負担のない第3号被保険者制度は「ノーワーク、ノーペイ」原則に照らせば、議論の余地があるでしょう(もちろん、家事労働は正当に評価されるべきです)。
大手企業が維持してきた企業年金制度、その基礎となる厚生年金基金は解散が続いています。企業経営者の立場からすれば、解散にも継続にも大きなデメリットが潜み、「進むも地獄、退くも地獄」といった状況に立たされています。「どうにかうまく抜けたい」という相談が私のところにもしばしば持ち込まれます。この状況下では「大企業=企業年金あり」の幻想はもう長くは期待できないでしょう。
年金財政の先行きが不安だから、もう年金は払わない方がいいという議論が一部週刊誌で目に付きます。でも、こういう軽論に乗せられるべきではないでしょう。政府が年金制度崩壊を放置するとは考えにくいし、消費税率引き上げを通じて、国費を投じて年金財政を支える検討は既にかなり進んでいます。年金システムでは払っていない人は確実に仕分けされているので、払わないデメリットはきっちり額になって表れます。信じにくいところはあるかも知れませんが、愚直に政府を信じた方が賢いと私は思います。
「年金システムは既に崩壊している」という説は必ずしも正しくありません。事務費を勘定に入れれば、実質上、パンク状態と見ることもできますが、まだかなりの剰余金があり、消費税率引き上げ後は改善の見込みがあります。剰余金を使った各種事業は「武士の商法」の性格が強く、失敗だったと思われますが、撤退すれば済む話で、「無駄遣い=年金破綻」という訳ではありません。
残念な事ですが、長生きは今では「リスク」になったしまったところがあります。一般には生活の大事な要素を「衣食住」と言いますが、シニアの場合は順番が逆。住居の確保が最優先事項ですから、大事な順に「住食衣」となります。着る物はそんなに多くはいらないでしょうから、コストが毎日発生する「食」の後回しでも構わないはずです。
賃貸住宅という選択肢は、シニアは持ちづらいものです。首都圏では年金以外の定期収入を持たないシニアが賃貸契約を結ぶのは結構大変です。孤独死を心配する貸し手、不動産業者が多く、終(つい)のすみかとはなりにくいのです。
経験を積んできたシニアは、成熟した労働力として企業が手放したくない存在です。ただ、昨今は働く環境が激変していて、本人が得意としてきた製品・サービスが引き続き、その企業の戦略商品であり続けるかどうかは見通しにくくなってきました。主力と思われてきた分野・商品からの撤退を発表する企業が相次いでいることからも分かる通りです。
目まぐるしく仕様・ロットが変化する事情もあり、シニアがついていけない労働環境が広がってもいます。よほど特殊な職務能力を持っていなければ、定年後の継続的雇用は期待しにくくなりつつあります。
退職者に重くのしかかるのは、経済的不安ばかりではありません。プライドの喪失、社会からの評価喪失といった喪失体験から来る自信や居場所感のロストは、シニアの精神を深くさいなみます。「自分は必要とされていない」「正当に評価されていない」という不満が募り、うつ状態に落ち込んでしまう人が珍しくありません。高給をもらっていたエリート銀行員が給与と年金の落差がショックとなり、自暴自棄になってしまったケースもあります。
そもそも給与額で自分を価値付けするような考え方はしない方がいいでしょう。日本では能力とのバランスで言えば「もらいすぎ」の社員が少なくないので、その給与水準を自分の客観的評価と勘違いすると、自分の能力を過大評価してしまうことにつながります。私がコンサルティングを担当する企業でも、「試しに人材会社で自分の商品価値を計ってもらってください」とアドバイスすると、かなりの人が「値段をつけてもらえなかった」と、ショックを受けて帰ってくるようです。
西村利孝
(にしむら・としたか)
社会保険労務士、行政書士
西村経営労務事務所所長1952年年大阪府生まれ。国学院大学卒。金融機関で7年間勤務した後、政府系公益法人に勤務。88年に西村経営労務事務所を設立。労働法律、年金、知的財産権取引などの分野で活躍。主な著書・監修書に『あなたの年金がすべてわかる』(自由国民社刊)、『失業マニュアル』『敷金と原状回復』など。
個人がとりうる対抗策は、「もらえるはずの年金はきっちり請求する」という事に尽きます。それは自分だけではなく、パートナーや親の分もそうです。権利は主張しなければ損。年金は黙っていても勝手に支給されるものではありません。本人が主張しなければ、何かの間違いで減らされていることだってあり得るのです。増える方向に間違うことはまずありません。知識がなければ、損をするだけです。年金に関する知識投資は自分の老後を支える杖だと思って取り組んで損はないはずです。
テーマ:社会問題 - ジャンル:ニュース
- 2009/04/12(日) 00:04:52|
- 労働総合/社会
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